池田香代子さん同行
アウシュビッツとカティンの森 ワルシャワ・ベルリン10日間

アウシュビッツガス室
●充実したアウシュビッツ・ビルケナウ訪問(ポーランド)
「アンネの日記」と同じく世界中の読者に読み継がれている精神科医フランクルが自らの体験を語った「夜と霧」。その翻訳者である池田香代子さんが、アウシュビッツ見学のあとビルケナウ第二収容所の奥まで詳しく説明。映画「サウルの息子」出てくる、死の池や野焼きの場所、カナダやザウナなどまで見学。
●カティンの森(ロシア)
1939年9月ポーランドはドイツとソ連の両国から攻撃され、ソ連軍に降伏した将兵は強制収容所に。そのうち22000人の将校等がカティンの森でソ連内務人民委員部によって銃殺。「カティンの森」の監督アンジェイ・ワイダの父親も犠牲に。今回、虐殺のあった現場の慰霊碑を実際に訪れます。
●ワルシャワ蜂起(ポーランド)
1944年8月。ソ連赤軍は、ワルシャワ近郊10キロの所まで進出。ワルシャワ占領も時間の問題と思われた。ソ連からの呼びかけで、ポーランド国内軍はワルシャワで蜂起。しかし、約束のソ連の援軍はなく裏切られた形に。武器の貧弱なポーランド蜂起軍とワルシャワは、ナチスによって徹底的に壊滅。ワイダの映画「地下水道」で描かれたワルシャワ、1943年にユダヤ人が蜂起したワルシャワ・ゲットー跡も訪問。

ビルケナウプラットホーム

池田香代子さん同行
アウシュビッツとカティンの森・ワルシャワ・ベルリン10日間
日次 | 月日
(曜) | 都市 | 現地
時刻 | 交通
機関 | 摘要 | 宿泊地 | 食事 |
1 | 4/14
(火) | 成田空港発
モスクワ着
| 12:15
16:05 | SU261
専用車 | 成田空港からアエロフロート航空にてモスクワへ
着後ホテルへ | モスクワ | 機
機
× |
2 | 4/15
(水) | モスクワ
スモレンスク
モスクワ | | 専用車
特急列車
専用車
特急列車 | 列車でスモレンスクへ(約4時間)
ポーランド将校達が降ろされたグニョーズドボ駅
カティンの森追悼記念館へ参拝と献花
列車でモスクワへ | モスクワ | 朝
昼
夕
|
3 | 4/16
(木) | モスクワ
ワルシャワ | 午前
午後 | 専用車
SU2000
専用車 | 独ソ戦ヒムキのバリケード
アエロフロート航空でワルシャワへ
ワルシャワ市内観光
ワルシャワ蜂起記念碑、旧市街、ワルシャワゲットー跡など | ワルシャワ | 朝
昼
夕
|
4 | 4/17
(金) | ワルシャワ
クラクフ
| 終日
20:00 | 専用車
| 専用車でクラクフへ
市内観光
中央広場、聖マリア聖堂、ヤギウォエ大学など
夕食後、研修室で解説と映画鑑賞(任意) | クラクフ | 朝
昼
夕 |
5 | 4/18
(土) | クラクフ | 終日
20:00 | 専用車
| 世界遺産の古都クラクフ見学
ヴィスワ川の小高い丘に立つシンボル的お城ヴァヴェル城、シンドラー博物館と旧ユダヤ人ゲットー地区
夕食後、研修室で解説と映画鑑賞(任意) | クラクフ | 朝
昼
夕
|
6 | 4/19
(日) | クラクフ | 終日
20:00 | 専用車 | アウシュビッツへ
アウシュビッツ第一強制収容所とビルケナウ第二収容所見学
池田香代子さんの案内で再度第二収容所を訪問
夕食後、研修室で解説と映画鑑賞(任意) | クラクフ | 朝
昼
夕
|
7 | 4/20
(月) | クラクフ
ベルリン | 終日 | 専用車 | クラクフから陸路ベルリンへ
先の大戦の戦跡、ポーランドの大地を横断
バス車内で池田さんの講演や意見交換などを行います | ベルリン | 朝
昼
夕
|
8 | 4/21
(火)
| ベルリン | 終日 | 専用車 | 郊外へ
ユダヤ人絶滅についての会議が行われたヴァンゼー会議博物館、連邦会議、ブランデンブルク門、テロのトポグラィー、チェックポイントチャーリー、ヒトラーが自殺した総監督邸地下壕跡など | ベルリン | 朝
昼
夕
|
9 | 4/22
(水) | ベルリン発
モスクワ着
モスクワ発
| 12:05
15:45
19:00 | SU2313
SU264 | アエロフロート航空にてモスクワへ
モスクワで乗り継ぎ | 機中 | 朝
機 |
10 | 4/23
(木) | 成田空港着 | 10:30 | | 成田空港着 | | 機
× |
朝=朝食付 昼=昼食付 夕=夕食付 ×=食事代含まず
※現地の様々な事情により、日程・訪問先および訪問順序などが変更となる可能性がございます。
写真はイメージです。