早川千晶さん同行ルワンダスタディツアー8日間

ルワンダ大虐殺の傷跡と平和構築への取組み

アフリカの奇跡と呼ばれるルワンダで考える平和

1994年に起こった大虐殺。今は政情も安定し、経済成長を遂げていますが、なお虐殺の爪痕が残っています。キガリ虐殺記念館やムランビ虐殺記念館(1994年の大虐殺の際に4~6万人の村人たちが県からの指示を受けムランビの丘にある建設途中の職業訓練校に避難した。ゲリラ・グループのインテラハムウェはこの場所を襲撃。わずか4日間の内に全員が虐殺された。穴に落とされ埋められた遺体をのちに掘り出し、数万体の白骨遺体が訓練校の教室に安置されている)を訪問。平和と真剣に向き合う旅です。

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One Love Project吉田真美さんの活動をたっぷりと

1997年から義足の製作を始め、障害者に無償で提供を続けるルダシングワ真美さんと夫のガテラさん。2017年には20周年を迎えました。ワンラブに宿泊し、ルダシングワ真美さんの活動を見学。これまでの活動の軌跡や苦労など真美さんの口から様々なお話を伺えるチャンスです。

※ワンラブという宿泊施設(ゲストハウス)は設備が簡素で、ベット、トイレ、シャワーがお部屋にあるのみです。宿泊する際にはご不便をおかけするかと思いますが、宿泊料がこのプロジェクトの支援になっており、義肢製作や職業訓練などの障害者支援活動に還元されます。ご理解いただいた上でご参加ください。

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早川千晶さんが案内するルワンダスタディツアー8日間

日次月日
(曜)
都市現地
時刻
交通
機関
摘要宿泊地食事
17月29日
(日)
成田発

夕刻
QR
成田空港を出発機中

×
27月30日
(月)
ドーハ乗り継ぎ
キガリ着
午前
午後
QR
専用車
ドーハを経由し、ルワンダのキガリへ
着後、ルダシングワ真美さんのお迎え
ワンラブ着
真美さんからのレクチャー
キガリ
×
×
37月31日
(火)
キガリ
午前
午後
専用車キガリ虐殺記念館
ワンラブ・プロジェクト見学
※入場料各自払い
キガリ
×
×
48月1日
(水)
キガリ
フイエ
午前

午後
専用車
キガリからフイエへ移動
フイエ国立博物館(ルワンダの民族の伝統的な暮らしと文化の展示)
ムランビに移動し、ムランビ虐殺記念館見学
※各入場料各自払い
フイエ
×

58月2日
(木)
フイエ
キガリ
終日専用車ニャンザ・ルカリ宮殿博物館(王ルワミ・ルダシグワ3世によって建てられた宮殿)
ワンラブに戻る
※各入場料各自払い
キガリ
×
×
68月3日
(金)
キガリ終日専用車ミヨベ村訪問予定キガリ
×
×
78月4日
(土)
キガリ

ドーハ
午前
午後
夕刻
航空機キセキ寺子屋を見学し空港へ
ドーハ乗り継ぎ帰国の途に
機中
×
88月5日
(日)
成田着午前成田着
朝=朝食付 昼=昼食付 夕=夕食付 ×=食事代含まず
※現地の様々な事情により、日程・訪問先および訪問順序などが変更となる可能性がございます。
写真は全てイメージです

※ツアー代金には、航空券、宿、専用車、ガイド経費、ワンラブプロジェクトへの寄付代のみが含まれており、その他の各プログラムは現地でお支払いいただきます。

同行者早川千晶さんからのメッセージ

ルワンダは、ご存知のように悲惨な大虐殺があった国です。1994年に3か月の間に100万人の人々が殺されました。この旅では、その原因は何にあったのかということを学びます。この虐殺は、そのときにはじまった話ではありませんでした。そもそもは、人類がおかしてきた大きな過ち、そのひずみがずっと重なり重なったすえに、この大虐殺になったのです。さかのぼると、ルワンダの人たちはとても平和に暮らしていました。ルワンダはもともと王国で、とても平和な王国でした。王様のもとに、人々はすべてを分かち合って生きていました。干ばつのときも、王様はすべての人々が必ず幸せに暮らせるように、民衆を守ってきました。自然と調和した暮らしです。みんな王様が大好きだったし、とても尊敬していました。でもその豊かな大自然がヨーロッパの人々に狙われました。そして侵略されました。それまですべての人々が調和しあって生きてきたところに、侵略がやってきて、人々を並ばせて、鼻の高さと背の高さをはかり、それにより人間を振り分けました。そして、土地を取り上げ、王様の一族も軟禁状態のようにされました。最終的には、その王様の一族は、とても卑劣なやり方で殺されました。そして、鼻の高さと背の高さでふりわけられた人々は、お互いを差別し、敵対するようにと仕組まれました。そうやってお互いを敵対させることで、統治をしやすくしたのです。ある一方が優遇され、もう一方は冷遇されました。そして、そのあとまた都合で、優遇されるほうと冷遇されるほうは入れ替えられたりもしました。人々は辛い経験をたくさんして、頭の中にたくさんの刷り込みがされました。

虐殺を起こすのは、統治者が民衆のマインドコントロールをして、操作して虐殺を起こします。ルワンダの歴史上、大虐殺は何度も起きています。この1994年よりももっとずっとずっと前にも、何度も何度も虐殺は繰り返されました。それを利用して、ヨーロッパの人々はいったいなんで侵略したかというと、そのさらに奥地には様々な資源があったからです。その足掛かりとしてルワンダは重要な拠点でした。ルワンダとは、千の丘が連なる場所という国の名前らしく、本当に美しい小国で、緑の丘が次々と連なっている地形です。そこで彼らがどれほど美しい伝統文化を持ち、自然と共存する生き方をしてきたかということも、今回の旅の中で訪問する博物館には様々な展示があります。また、みんなに絶大な人気だった王様の暮らしぶりやそののちたどった運命も知ることができます。

さてその後、様々な苦難の歴史のすえに、起きたのが1994年の大虐殺でした。そもそも、何度も何度も虐殺や内戦を繰り返してきて苦しんできたルワンダとブルンジ、この2か国は共通した歴史を持っています。最終的に和平を結ぶということが行われました。東アフリカの隣国が助けました。ケニアの大統領もそれに入っていました。タンザニアで、その和平が結ばれました。ああよかったよかったと、これで本当の平和が来ると、誰もが思いました。その和平のあと、飛行機に乗ってブルンジとルワンダの大統領が国に帰りました。ところがその飛行機がキガリに着陸する寸前、爆破されました。撃ち落されたのです。これは、いまだに誰が撃ち落したのかということは、追求すらされていません。撃ち落されて両大統領は死亡しました。そこから一気に戦争になりました。

一気に100万人が殺されたのです。ナタで首を切り、石で頭をかちわり、そうやって殺されていきました。同じ村で暮らしていた隣人同士が、その日を境に殺し合いをはじめました。女も子どもも全部です。ある女学校では、そこに殺戮部隊がやってきて、学生たち全員に、お前たちツチ族が誰かを言え。そうでなければ全員殺すと言いました。学生たちは、友達を守るためにみんな口を割りませんでした。その学校では全員がその場で殺されました。

そうやって3か月間続いた虐殺ですが、今回の旅では、実際にその虐殺の中にあった私の友人たちに会います。

まずひとりは私の親友のクレアです。彼女は虐殺時、7歳でした。家族全員、彼女と姉以外は全員が殺されました。クレアと姉はどうやって助かったかというと、草むらの中に逃げて、草の中にずっと身を潜めて3か月間、生き延びました。そのときそうやって草の中に隠れていた子どもたちがあっちにもこっちにもいたそうです。

そして、私の親友マリールイズさんに会います。マリールイズさんは、虐殺があったときキガリにいました。そのとき、2歳、4歳、6歳だった子どもたちを連れて、逃げました。子どもたちがはぐれないように、子どもたちの手を布でしばって、マリールイズさんの腰に結び付けて、そこから命懸けで徒歩で逃げました。そうやって逃げ延びていく間に、たくさんの人たちが見つかって殺され、隠れている間に餓死しました。

何万人もの人々が集められて一気に殺されたムランビ虐殺センターでは、その虐殺時に次々と穴に放り込まれた遺体をその後掘り出して、ミイラ化した遺体を何百体、何千体、何万体とそのままの姿で置いています。

しかし、ここでポイントなのは、このような過去に起きたことを学び、そして、それ以降、人々がどのようにして平和を築いてきたかという過程を学びます。そして、現在、どのような国づくりをしているかということを学びます。

ルワンダは、現在、虐殺から24年間たち、ルワンダの奇跡と言われるほどの国になりました。これほどまでの復興を果たしたのには理由があります。まず、小さな国の中で徹底的に人々が殺されたあと、虐殺が終わってまた国づくりをはじめていかねばなりませんでした。その国づくりをしていくにあたって、ルワンダの人たちがやってきたことがあります。

まず第一に、ヨーロッパの国々、特に、かつての宗主国のベルギー、そしてフランス、国連、それらの支援を、拒絶しました。そして、めちゃめちゃになってしまった自分たちの国を、自分たちの力で、立て直していくと宣言しました。まずは、新しい憲法を作りました。この憲法は、ルワンダ人が、ルワンダ人の手で、外国からの助けを借りずに作る決意をしました。新しい法律では、死刑制度を廃止しました。これはなぜかというと、殺人者を死刑にしても、何も問題は解決されない。そうではなく、まずはお互い対話をし、殺した者は罪を認める。殺された者の遺族は許す。そうすることで、共に国を作り直していく努力をしようと決めたのです。それをどのようにやっていくかというと、自分たちの方法で、対話により罪をさばいていく、民衆裁判を作りました。それを、各村々で、自分たちの力で行いました。

同じ村の中に、殺した者の家族と、殺された者の家族がいるんです。でも、それがお互いに憎しみあっていたら、そこでどうやって子どもたちは育つのでしょう。それでは子どもたちは幸せに育つことが出来ないと、ルワンダの人たちは気が付きました。だから、未来を作っていくためには、みんながオープンになってすべてを語り合わなければならないと、そのための場づくりをしました。自ら罪を認め、心から悔いて、謝罪し、償いをしようという人々は、それが認められました。どのように償いをしていくかというと、家を無くした人たちの家を作り、家族を無くした人たちの生活の支援をし、未亡人たちを助け、身寄りのない老人を助ける。

償いのプログラムがはじまりました。それは今でも続いていて、今でもルワンダの国内を旅するときその姿を見ることができます。

刑務所から、各村々に、毎日、奉仕に出ます。家を作ったり、道路を作ったり、畑を作ったり。そのような作業をしている人たちは、オレンジ色の作業服を着ています。自分が多くの人たちを無残にも殺した場所へ、彼らは毎日、毎日帰って、償いの作業をします。虐殺から24年の間に、そういう虐殺した側の囚人たちは、次々と釈放され、今では普通のコミュニティに帰っています。

そして、次に、国会議員の半数以上を女性にしなければならないという法律を作りました。現在、ルワンダの国会議員の68%は、女性議員です。これはなぜかというと、男たちは、家族を守ると言って戦いに行った。しかし、見てごらんなさい。戦いにいったら、本当に家族を守れますか? 戦いに行った人は、家族を守ることなんかできないんです。殺した人も、殺された人も、奥さんは未亡人になり、子どもたちを女性だけで育てていかねばならなくなりました。だから、男にはまかせておけないと、女性たちが立ち上がったのです。女性が政治に参入したほうが、平和な国を作れるとルワンダの人たちは判断しました。それで実現しています。

そして、現在のルワンダは、奇跡と言われる復興をとげました。街はとても美しく、ゴミひとつ落ちていません。様々な国がいま、ルワンダをモデルにしています。

この国が、虐殺でボロボロになり、まだ破壊されつくした状態だった虐殺直後にルワンダに移住した日本人女性がいます。ルダシングワ真美ちゃんといって、私の親友です。彼女のプロジェクトのゲストハウスに泊まります。真美ちゃんの旦那さんはガテラさんといいます。ルワンダ人で、足が悪く、障がい者です。ガテラさんは、子どもの頃、足が悪かったせいで虐殺のときに足でまといになるということで親から捨てられました。1959年の虐殺のときのことだったそうです。それからあと、孤児院で育ち、その後、自分の力だけで生きてきました。とても素晴らしい人です。真美ちゃんは、そのガテラさんに、足を作ってあげたいと、義足つくりを学びました。5年かけて義足つくりを学んでいる最中に虐殺が起きました。虐殺直後にルワンダに移住しました。その後、まったく何もない戦争後の焼け野原のようなところからはじめて、いまでは、虐殺で手足を無くした人々のための義手や義足を、8000人以上に提供してきました。

彼女たちのプロジェクトはOne Loveと言います。私たちがキガリで宿泊するワンラブ・ランドというのは、この真美ちゃんたちの家であり、ワークショップもあり、その活動をささえる収入を得るためのゲストハウスになっています。

歴史を知り、実際に何があったかというリアルなことも知って見学し、当事者たちからも話を聞き、その上で、そのような歴史を乗り越えていくこと、平和構築への取り組みについて学び、私たちの今後の未来に向けての想いをみんなで語り合えればと思っています。

これらすべてを網羅したプログラムを組みました。これは、この世界の真実を知りたい、そしてこの地球の未来について真剣に考えて行動したいと思っている人におすすめしたいプログラムです。ぜひご参加ください。

 

ツアー情報

ツアー名
早川千晶さん同行ルワンダスタディツアー8日間
旅行日程
2018年7月29日(日)〜8月5日(日)
定員
12名様(最少催行人数5名様)
料金
378,000円(成田空港発着基準)
燃油諸税、ビザ代、現地入場料等別途
添乗員
同行致しません
申込〆切
2018年6月25日(月)
利用航空会社
カタール航空
利用ホテル
One Love(キガリ)、Hotel Maisons sifa(フイエ)
又は同等クラス